認知資源の配分を気にかける

現代社会は情報過多である。

本来、人間が処理できる情報に対して日々受け取る情報が多過ぎる社会に我々は生活している。だから普通に生活しているだけで認知資源が枯渇するという問題が生じる。要するに、どうでもいい情報に振り回されて本質的なことに意識が向かなくなる環境で生活している。

若いうちはなんとなく周りに流されてなんとなく頑張ればそれなりに楽しいし、結果もついてくる。その背景には、あなたをモチベートする社会の仕組みがある。

自身の社会的価値を感じたとき、人は興奮する。

ほとんどの人はその種の興奮に中毒になっている。

つまり、自身の社会的価値を高めることに多くの力を注いでいるのだ。

例えば、他人からよく見られたいがために、高価な時計や車を購入したりする行動がそれである。

大多数の人のモチベーションの多くはここに依っていると思う。

そして、あなたの周りには、社会的価値を高めたいと感じさせるような広告が溢れている。そのおかげであなたは無自覚に日々、そうなるようにモチベートされている。

隣の家の駐車場にある高価な車、職場の同僚が身につけている高価な時計、それだけではない。SNS、テレビCM、ドラマ、ありとあらゆる情報があなたをモチベートしてくれる。

しかし、これは罠である。

この種の人間の欲望は限りがない。

また、「上には上がいる」わけだから、永遠に満足は得られない。

一番厄介なことは、価値基準が多様で、なおかつ日々変化していることである。

だから、自身の社会的価値を高める努力をしても成果が積み上げられず、徒労感だけが残る。30歳も過ぎれば体力が落ち、友人は結婚して飲み会もなくなり、容姿も衰えていく。そこからは他人との比較をやめて自分と向き合うことが避けられない。

このフェーズでは、より高価な耐久消費財の購入や、他人と比較して少しでも優っていることに喜びを見出すことをやめ、比較する対象を過去の自分のみに限定し、自ら設定した価値基準に沿った行動を取り、自らの目標に対して少しでも進歩することに喜びを見出すことを自分の人生の本質に位置づけた方が幸せになりやすい。

ただ、それは結構退屈で、実現が難しい。(自身の社会的価値を感じたとき、人は興奮する。ほとんどの人はそのような種類の興奮に中毒となっており、逃れられない。だから、自ら設定した価値基準に沿った行動よりも、自身の社会的価値を高めるような行動を優先してしまう。)

自ら設定した価値基準に沿った行動は、本質的で重要であるにもかかわらず、あまりにも退屈でワクワクする感じが小さ過ぎる。(重要な活動ほど、成果が出るまでに時間がかかる傾向にあり、努力と成果のタイムラグが大きい。)

この対策として、認知資源の配分を意識的に行う必要が生じることとなる。

自ら設定した価値基準に沿った行動に取り組むために、それ以外の活動にNOと言わなくてはならない。だが、誘いを断るのは容易なことではない。誘いを断るために判断し、気を使い、意思を消耗することを考えれば、そもそも誘いを受けないようにする方がずっと生産的だ。

だから誘いを断らなくていいように、認知資源を適切に配分し、誘いを受けないようにする。

あなたに誘いを持ちかけてくるのは朝起きてから夜寝るまでに受け取る全ての情報である。あなたは無数の情報から影響を受け、自身の社会的価値を高めたいという願望を抱き、その誘いに乗ってしまう。現代社会で普通に暮らしていれば、何もしなくても、あなた自身の社会的価値を高めることに意識が向くようになるようにできている。

だが、そうさせないように、認知資源を適切に配分し、自ら設定した価値基準に沿った行動を取れるように自らを仕向ける。

30歳も過ぎれば永遠にその繰り返し。


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