ひとは社会から受け取ったたくさんの情報を元に、世間で一般的とされるような、こうあるべきという思い込みを形成していて、個々人はその思い込みを常識だと思っている。しかしその常識とはほとんどが偏見だ。さらに困ったことに、自分の偏見は自分の感情と結びついているから、それを改めるのは気分の悪い作業である。
それではその常識を媒介するメディアと内容を見ていこう。
ゼク◯ィ
結婚式はしたければしても良いけれど、式を挙げなければいけないということではない。
だから、できないからといって気にする必要はない。
スー◯
高い新築住宅を買いたければ買えば良いけれど、買わなければいけないことはない。
だから、買えないからといって気にすることはない。
リク◯ビ
就職は、した方がいい。
でも転職は、よく考えた方がいい。
じゃら◯
旅行は行きたければ行けばいいけれど、連休になったら行かなければいけないものではない。
だから、旅行に行かないことを気にする必要はない。
ホットペッパー◯ルメ
グルメは楽しみたければ行けばいいけれど、全くグルメに興味がない人もたくさんいる。
だから、グルメになろうとする必要もない。
要するに、自分で「◯◯しなければ」とか思っていることに対して、他人や社会から刷り込まれた偏見でないかをいちいち確認する必要があって、自分の意思に反することに気が付いたらそれをやる必要はないということ。
コメントを残す